私の目からみた 最近の寒梅会の到達点と課題 of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会

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―地方・学年寒梅会とHPを焦点に

島  一郎



早いもので05年秋に第8回寒梅会総会が開かれてからもう2年あまりがたちました。この間会員のみなさんには結婚や出産、定年・転職・転勤・転居、ご家族の慶弔や病気など様々の喜怒哀楽があった筈ですが、それらを踏み台にそれぞれの人生の道を確かな足取りで歩んでおられるご様子で、私にとっても大きな慶びです。

こうしたみなさん一人一人の充実した歩みこそが会の発展の根幹であることは言うまでもないのですが、一方では会全体としてもこの間にいくつかの大きな前進がありました。なかでも第8回の総会で今後の会発展の目指す方向として申し合わされた地方・学年寒梅会の開催とHP開設は大きな意義を持っていると思われます。それらはむろんみなさんが協力して造られた成果であるに違いないのですが、私も立場上相談に乗ったり、ささやかながら作業のお手伝いに加わった経過もありますので、主としてこの2点に絞ってこれまでの到達点や課題について私なりに考えてみました。長文になりましたが、読んで頂けたら幸いです。 

1 地方寒梅会と学年同期会

地方寒梅会や学年同期会については、従来から私の地方出張と時間を合わせて北陸や東海地方で時たま開かれたこともあり、そこでは総会とはまたひと味違った少人数でのなごやかな世代を超えた交流が実現しましたが、それは必ずしも会全体の活動の一環として位置づけられたものとはいえませんでした。その間、4年に一度キッチリと開かれてきた総会は回を追うごとに盛会となり、ゼミ30周年と重なった第6回には現役代表もあわせて250名近くの大集会になったこともあります。

それはむろん青春の一時期を同じ舞台で過ごした仲間の交流として大きな意義がありうれしいことには違いないのですが、どんなに運営に工夫を凝らしてみてもこうした大集会だけでは世代を超えた心の交流の場を十分に実現できたとは言い難い面も多々あり、それを否定するのではなく、足りない一面を補うことによって総会をより実のあるものにしようという位置づけでたてられたのが今回の目標でなかったかと思います。

実際には地方寒梅会は意外なところから開幕しました。総会直後の05年11月に香港や広州在住の仲間が呼びかけあって「中国南部寒梅会」を開いたのが皮切りで、最大で4名という超ミニ寒梅会ですが、それだけに機動力に富み、これまですでに4回の集まりを持ってお互いに励まし合っています。

それに続いて、地元・関西では06・07年の2年続きで50人規模の集いが開かれ、06年秋には北陸(金沢)東海(名古屋)そして07年には春に九州・山口(福岡)秋には四国(高松)でも相次いで会がもたれました。私もさすがに中国での寒梅会には出席できませんでしたが、その他の地方寒梅会にはお招きを受けて参加させていただきました。東海、九州・山口ではそれぞれ20人規模、住人の少ない北陸・四国では10人までの規模でしたが、それぞれ地方色豊かで、たちまちのうちにうちとけてなごやかな交流の輪が拡がり大いに盛り上がって大成功をおさめたと思います。

もちろんこうした成功の陰には幹事を引き受けてくれた人々の献身的なご尽力がありました。比較的会員の多い東海や九州では世代・学年の異なる幹事会が結成されて、組織的に準備会や頻繁な連絡を取り合っておられたこと、少人数の北陸や四国でも幹事のみなさんの行き届いた準備活動には頭の下がる思いでした。

このように各地の寒梅会はみなさんの尽力と協力によって私の予想以上に急速に軌道に乗り始め、極端に会員の少ない北海道・東北を除けばあとは関西に次いで会員の多い関東や中国地方を残すのみとなりました。関東は極端な東京への一極集中の影響でメンバーは近畿に次いで多いのですが、地元出身者はそう多くない上に転勤なども激しいだけにまとめるのには困難も多くその開催は今後の課題となるでしょうし、中国地方は近隣の四国と統合して開催する方向もあり得るのではないでしょうか。

参加者の年代について言えば定年を迎えたり、比較的仕事に余裕のできた10期生までの古い年代のメンバーが多い半面、企業の中堅として精一杯がんばっている中年層や社会人としていよいよこれからという若手の参加が今ひとつ、というのは最近の厳しい経済情勢から見てやむを得ないことかもしれません。

しかし厳しいなかを貴重な一日をさいて、日頃話のできない大先輩の年代層から貴重な経験を聞くこともでき、相談や希望・悩みを打ち明けることができるこの場は職場の人間関係とはまた違った良さをもっており、これを機に交流を深めていけばこれからの充実した人生を歩む上での思いがけない糧がこの場から得られるものと十分期待が持てると思います。

同期会は文字どおり青春の一時期の苦楽をともに分かち合った「オマエ、オレ!」の仲間同士、つねに会う機会は少なくても、会えば必ず即刻うちとけて思い出だけでなく近況を語り合って励まし合えるもっとも近しい仲間同士です。すでにこれまでに5・10期生が毎年のようにこうした会を持っていますし、最も若手の35期生の集まりも開かれ、全員が還暦を迎えた1期生もこの春、実に40年ぶりに同期会を開くことが決まっています。

またその他のいくつかのクラスでもこうした機運は高まっていると聞いていますし、親しいゼミ仲間が時折集まって私的に旧交を温めあう機会はこれまでに数え切れないほどあったと思います。願わくば「卒業○周年」とかの記念すべきチャンスを選んで輪を広げた同期会を催して頂きその求心力を寒梅会全体充実に結集してほしいものです。各学年の名簿は私の方でも在籍者の約半数については年賀状などを通じて把握していますが、個人情報保護のためHPでは公表しておりません。

しかし、みなさんが旧交を温めるのに役立つ限りはいつでも喜んでリストを提供しますので、それぞれ手持ちの資料と合わせてより完全なメンバー把握をするのに役立ててくださったら幸いです。

以上のような、地方・同期寒梅会の状況ですが、その開催についてはほかにも課題があります。たとえば開催の時期ですが、毎年各地で様々な寒梅会が思い思いに開かれるような盛り上がりを見せれば当然その間の調整も必要になりますし、総会開催との兼ね合いも大事です。私もお招きをうけたら、できるかぎり参加してきたし、これからも参加したいと願っていますが、歳を重ねるにつれて遠隔地をいくつも訪れることは年々心身共に困難となり、「うれしい悲鳴」をあげることになりかねません。なにもよりよい具体案を持っているわけではないのですが、こうした日程調整は会の中身とともに、次の総会での大きな懸案になることと思われます。

会の中身として、従来と大きく変化したのは、ゼミが終焉したことによってこれまで寒梅会が卒業生の親睦と啓発の場であると同時に、現役生との交流と激励の場でもあったのに対して、その対象である現役生を失ってしまったことでした。これは主として総会の問題だと思いますが、かつての寒梅会では幾度か現役生との交流の学習会が開かれ、並み居るOBたちを前に胸を張って研究発表をする現役生たちに感動し初心にかえっていたのを思い出します。

これによって現役生たちもOBたちから大きな刺激を受け直接的なアドバイスだけでなく、歓談を通じた人格的な接触を通じてゼミへの愛着心を深め学習意欲を高めたことも確かなようで、このことが寒梅会の大きな魅力でした。いまそれをそのまま元に返すすべはありませんが、幸いなことに寒梅会にはわがゼミ出身者の横井準教授がいて、私のテーマを引き継いでゼミを開き、優れた学生たちが集まっているようですから、場合によってはそのゼミ生たちの協力をお願いすることも十分可能だと思います。むろんその場合でも島ゼミの直接の後輩ではなく独自の教育理念と目標を掲げた横井ゼミの学生たちですから、しっかりケジメを持つことが必要ですが、もしこれができればかつての島ゼミ生間の交流・啓発と同様に益するところも大きいと考えられます。(ちなみに横井ゼミ1期生諸君は前回の寒梅会では快く受付や案内などの役目も引き受けてくれました。) 

2 ホームページの実情と運営 

ちょうど2年前、このHPが開設された頃、私は幾人かの学生時代の友人たちにお願いして、感想をきいてみたことがあります。幸い概して好評で、「最初寒梅会とは大それた名をつけたものだと思ったが、近頃のはやりではなくもう30年以上も前に、ゼミ学習に取り組む基本姿勢としての格調高い寒梅の詞と日中友好、「カンパイ」というゼミの特色をうまく結びつけた命名だったんだね」と感心してくれたり、「ゼミの全学年・全員の写真と名前が書きこまれそれぞれにきみと学生のクラス短評が書きこまれていることがゼミOB会のHPに相応しくて特にいい。よくこれだけの多彩な内容を盛り込めたものだ。」などと評価してくれると、お世辞半分であるにせよ大変うれしく感じたものです。

たしかに在職中に担当したゼミ36クラス(35学年)を勢揃いさせることができたのは、当然とはいえこのHPの一つの長所には違いありませんが、実はそれは古い資料を整理して捨てもせず身の回りに積んでおく、という何かにつけてものぐさな私の性癖からくるけがの功名の産物なのです。

むろん心の片隅にゼミ生であったみなさんへの愛着があったことは事実ですが、そんなわけで、後年それが「島ゼミ寒梅会HP」開設に結実するなどとは夢にも思わないままに手元においてきた卒業論文(すでに2回の寒梅会で出席者には返還)はじめ諸記録・毎年最初のゼミで書いてもらった「私の中国観」の作文、レジュメ類の一部、それに歴代寒梅会の写真や記録などがいまでも山のように残っています。それに私は日頃ずぼらなくせに年賀状書きにはふしぎに筆まめで、毎年卒業前の4年ゼミ生には全員に激励のつもりで発送し、卒業後頂いた賀状は保存し必ず返事を出していましたので、みなさんの消息を知る上ではとても役立ちました。

しかしこれだけでは「宝の持ち腐れ」ですが、これを見事に再生してHPの開設の中継ぎをしてくれたのが、「ゼミ開講30周年」と私の還暦を祝って開催された第6回寒梅会(1997年)の際に世話役の11期生が全力を注いで編纂してくれた「記念誌」でした。

このときばかりは私もゼミ全期間を知る人もほかにはいないわけですから、本気になって必要な資料を整理し提供したのをきのうのように覚えています。こうして11期生を中心にみなさんの協力で甦った資料がHP開設の際にほとんどそっくりHPに活かされたわけで、移し替えの作業は私も応分の協力はしましたが、このHPはその成り立ちからみて全学年のみなさんの惜しみない協力の結晶に違いありません。

ところでHP開設後の現況はどうなっているでしょうか。このことを知るために今年(08年)になってから、体調を見計らいながら一通り書きこみなどの参加状況を調べてみました。

発足時からこのHPの書き込みには2つの大きな流れがあります。その1つは編集責任をもつ運営委員会や事務局が企画し執筆を依頼する部分で、これに相当するのは、その後開かれた第8回寒梅会総会をはじめとする各地・各学年の寒梅会の案内や紹介の記事、特別な企画として始めた「亡き友を偲ぶ」「ゼミカップルは今」「ゼミ・アラカルト」「会員の消息」などです。そして今ひとつは運営委員会の作った申し合わせに従って会員のみなさんが本来なら自由に書きこんでいただける「掲示板」と「投稿」の欄です。

とりあえず後者の中心にあたる「掲示板」の実情をしらべてみますと、開設後2年を経て(08年2月末現在)、おおざっぱな数字ですが、およそ65名の会員から約280通の書き込みがありました。それに「掲示板」にはHP開設にさきだってもうけられた「旧掲示板」がありますからその分の42名・125通を重ねますと延べ85名・400通あまりがその総数ということになります。一方投稿者の方は8名(他との重複を除くと5名)でこの中には会員外から吉林大学名誉教授の趙先生、横井ゼミ1期生の渡邊さんが含まれています。また前者、すなわち依頼して寄稿していただいた方は歴代のゼミや寒梅会記録を含めて71名(重複を除くと44名)にのぼり、以上の分すべてを合わせるとこのHPには120名あまりの方がどこかに執筆して名を連ねていることになります。また「掲示板」の書きこみ数・書きこみ者数をみれば10期生までの古い会員の比重がきわめて高いのに対して、それ以後の年代では少なくなります。

これは地方寒梅会の参加者数と同様に、高学年層がすでに定年退職するか職場でも比較的ゆとりのある地位に達しているのに対して、中堅層以下は近年の厳しい労働環境のもとで日夜第一線の仕事と生活に追われている面の反映といえるかもしれませんし、若年層は自分たちでまた独自のネットを持っているのかな、とも思えます。むろん書きこみや執筆だけでなく、注目して折に触れてHPを閲覧している人も多いことでしょうし、この数字だけをみて開設の成果があがっているかどうかを即断することは禁物だと私は思います。おそらく、少しずつ定着し始め、開設の所期の成果を初歩的にあげてはいるものの、まだまだ前途はこれからというところが妥当なのではないでしょうか。

ところで、当然のことながらこのHPについては、ほめてくれる人もいる半面、会員からの疑問や批判を耳にすることもあります。たとえば、「いつまでも古い記事が残っていて更新が遅れている」「難しい議論が多く痛烈な批判が出てきそうで書きこみにくい。」「もっと積極的にテーマを設けて議論するための投稿を求めてはどうか」等々。

至極もっともな意見で、私などは以前から「掲示板」は主として肩肘の張らない普段着のままに近況や情報交換の場として活用し、議論は別枠でみんなでテーマを設けて自由闊達に意見交換の場であってほしい、と願ってきました。みなさんの中にはこうした私の感想に賛成してくれるひともあるはずですし、もっと別の批判や提言をもっている人も多数いるでしょう。こうした意見や提言をしっかりくみ上げて速やかに実行すればいいのですが、残念ながらいま直ちにそれができないのはHP作成に絶対に必要な技術敵側面の態勢が整っていないことが最大の要因であるように思えます。

裏話のようになりますが、実はこのHPの開設にあたっては私の長男が全面的に協力してその形を作り上げてくれたものでした。私が期待した盛りだくさんの内容をもれなく織り込み、アップロードに必要な費用を最小限に抑えながら(会には企業のHPのように莫大な費用で外注する余裕はまったくありませんので)、トップ・ページをみるだけで登載記事の全容を織り込みたいというのは、技術的な素養を持たない私にはわかりにくいことですが、なかなか大変だったようで、その仕事を長男は私が親しく接したみなさんのお役に立ち、また私を喜ばせるためにボランティアとして時に徹夜も重ねながら仕事の合間を縫って懸命につくりあげてくれたことは事実です。そのころの彼の心づもりでは、いずれこれをより操作しやすい形に改作しメンバーのみなさんに管理を引き継ぎたい、ということでした。

ところがその直後から、かれの仕事が軌道に乗り始め、最近では休日も含めてひとりでてんてこ舞いしなければならない忙しさとなり、実際にちょっとした HPの更新を頼むだけでも気の毒になるくらいで、やむを得ず、会の案内や報告など最小限のことを依頼するのが精一杯という状況になってきています。

しかもこのHPはもし仮に技術的な知識を持たない人に管理を任せたら全体が壊れてしまう危険性をもっている、ということで、目下みなさんからHP充実のせっかくのいいアイデアが浮かんできたとしても技術的な態勢が整わないことにはどうにもならない状況に苦慮しているところです。

幸いこの問題については息子も真剣に打開策を考えてくれてはいますが、何といってもにわかにそれができない上記のような状況である上、これからもHPを継続し拡充する方向を探るとすれば、一日も早く会自体が技術的な問題をも含めて十分日常管理を行えるような態勢を作りあげていくことがもっとも重要な課題といえましょう。

そんなわけで大変残念ですが、当面は今の状態を続けざるを得ない状態です。従って「掲示板」も上記の二つの性格のものが併存することになりますが、このパーツだけは、みなさんがいつでも自由に好きなことを書き込める貴重な場で、技術的制約もまったくありません。どうか様々な種類の書きこみが併存する事情をご理解の上、今まで通り遠慮なく議論を闘わせてほしいし、気軽な近況報告や諸連絡などもどしどし書き込んでほしいものです。

そのうえで、会員の中には自力でHPを開設し、作成する力を持ち興味を持っている人たちも多いはず。また拡充のための優れたアイデアを温めている人も少なくないでしょう。

近い将来にそれらの力と知恵を出し合ってみなさんの結集の場に相応しいよりよいHPをみなさんの手で作り上げて下されば、というのがいまの私のささやかな願いです。

長々ととりとめもないことを書き連ねましたがご一読の上忌憚のない感想など聞かせいただけたらと思います。(08/2)

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