―写真でみる長春の文化財―
趙鳳彬(吉林大学・元同志社大学経済学部客員教授)
このほど吉林省長春市にご在住の吉林大学・趙鳳彬先生から次のような「特別寄稿」がありましたので、掲載させていただきます。
趙先生は1990・98年の二度にわたって、同志社大学経済学部客員教授に招かれ、ゼミ生や院生に豊富な学識と温厚なお人柄で懇切なご指導をいただき、記憶している人も多いと思います。
中国の東北中心部にある吉林省長春市は戦前、1932年3月溥儀の“執政”から1945年8月終戦までの14年間は旧満州国の都•「新京」であった。この都市には現在、1930年代初頭において建てられた多くの行政施設がある。長春市政府は改革•開放が本格化した1980年代から、一部代表的な施設を「重要文物保護対象」と位置づけるとともに、また当地の観光資源として活用している。なお、政府当局の公式認定表示板が施設ごとに付いてあるのも異例のことである。
若い頃あの時代を生きた私は、老後の趣味と情緒からその一部をカメラにおさめてみたが、このたびはこのHPに掲載していただくことになった。心より謝意を表したい。
満州国政府施設の多くは約2キロにわたる順天大街(現・新民大街)を中心とした官庁街に並んでいる。関東軍司令部、憲兵隊司令部ならび皇宮など一部の施設はそこからやや離れた別の場所にある。これらの中央官庁は当時植えた松木が長年にわたって繁茂したため全容はよくみえないが、「今日の満州施設」という視点から、むしろその「在りのまま」でよいのではないかと思われる。
いうまでもなく、このような施設は日本の植民地支配を象徴するものであるが、その壮麗な建築群はいまなお多くの内外観光客の目を引くのである。その時代から100年近く経った今日、人々はこの施設を過去の不幸な一時代の「文化遺産」として受け止めている。
毎年8月頃になると私は街角で日本から来られたお年寄りによく出会う。ある日たまたま、広島から来たという奥さんとの対話が私の記憶に残る。「写真を撮っても宜しいでしょうか」「もちろん結構ですよ。長春の名物ですので」「戦前父が満州中央銀行で働きました。そのとき私は両親とともに銀行近くで暮らした記憶があります」「満州中央銀行職員グラブという官舎ではないでしょうか」「恐らくそうですが、このたびは駅前の春誼賓館に泊まりました。その銀行近くに移してもよろしいでしょうか」「私がご案内しましょう。その中銀職員グラブは現在長春賓館という政府系ホテルですが、近年外国人にも開放しました。ご両親はお元気ですか」「父は終戦を目前にして亡くなり、私は終戦直後、母とともに帰国しました……」。
奥さんのいう春誼賓館とは満鉄(南満州鉄道株式会社)が1909年に建てた日本人ホテル•「大和ホテル」をさす。このホテルは日本関東軍初代司令官本庄繁と溥儀皇帝が泊まったこともあって、内外に広く知られている。
街道を歩くと、また多くの知り合いとも出会うが、ある若者の問題提起は興味深い。「先生はなぜわざわざこんなものを撮りますか」「そうだな、何故だろう」「いまの対日感情から考えるとそんなもの…」「では、長春市政府がこの日本施設を一つの文化財として保存するのは何故だろう」「…」「ある国では植民地支配の歴史を清算するために日本総督府施設まで壊してしまったそうだが、中国は『そんなもの』を保存して利用している。どっちが得だろう」。彼の言いたいことはよく解る。彼はいまの中国人の考えをよく反映している。時代は確かに変わった。
しかし、その「歴史」は未だに今日の人々の心に暗い影を落としている。これは街道上の立ち話でわりきれるような単純な問題ではない。私は街道を歩きながらそう思った。
ここに収めた10数点の他にも、外交部、警察庁、経済部、交通部、民生部、興農部、文教部、蒙政部、協和会中央本部、康徳会館など官庁や関東軍憲兵隊司令部、駐満州海軍司令部など軍施設がある。なお、株式会社満州映画協会、大同学院、建国大学、工業大学および歓楽地(一名新天地)、児玉公園(現勝利公園)、黄龍公園(現南湖公園)、大同公園、牡丹公園、豊楽映画館、大和ホテルなど多くの文化教育•娯楽施設もまだ残っている。
また、新京神社、忠霊塔、、忠霊廟、神武殿など祭祈施設もある。ただ、1912年に建てられた新京神社は吉林省政府第2幼稚園として利用しているものの撮影は固く断れた。日露戦争以来の戦没者が祀られた忠霊塔は戦後ソ連軍によって解体され姿を消した。
以下、施設名はすべて当時のままである。括弧内は現在の名称であるが、中国では「満州国」という場合、その前にひと文字「偽」をつけ加えるのが一般的である。
私は決して写真家ではないが、この写真数点をその時代に生きたもののひとりとして、歴史事情に詳しくない両国の若者たちに贈り、みなさんが過去のいまわしい歴史的事実をしっかりふまえたうえで、相互理解の上に立ったこれからの暖かな友情にあふれた日中関係を切り開いていくよすがとして役立てていただきたいと切に願っている。(2006年8月 長春市において)
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